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2019年08月23日

コンテナ四方山話:3

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私が小学生のころ

「アメリカはベトナムから手をひけ!アジアから出て行け‼」

というヘッドコピーのモノクロ・チラシが、あちこちの電信柱に貼られていました。

これは、ベトナム戦争(1955年– 1975年)と日米安保条約に反対する学生たちによる反戦運動でした。実は、このベトナム戦争が物流業界に及ぼした影響は非常に大きいのです。

ベトナムには米国の陸・海・空軍が駐留していましたが、その人数は最大で54万人。この巨大な軍隊に物資を補給することは至難の業でした。ベトナムは南北1100kmにも及ぶ縦長の国土に、大型の船舶が着岸できる水深が確保された港はサイゴン1ヶ所だけ。しかし、サイゴンは河口から70kmほど奥まったところにあり、荷役のほとんどを人力で賄っていた為、常に膨大な貨物でパンク状態。そこで、カムランという港に第2の拠点を設けることになりました。ところが、そこには電気・水道・道路などのインフラがなく、大型の建設機械が地面にめり込んしまうような軟弱地盤。そこで海軍は、全長90mの可動式桟橋を米本国から遥々曳航して設置し、艦艇数隻を停泊させて電源を確保し、かろうじて荷揚げができる埠頭の体裁を整えましたが、そんな程度で賄える貨物の量ではありませんでした。

ベトナム全土を見渡しても、ハイウェイ(といってもほとんど舗装されていない)は爆撃により寸断され、鉄道もほとんど機能を失っています。このような戦場に送り込まれた若い兵士たちは、さぞや苦しかったことでしょう。

米国が、インフラ戦略を軽視して戦う無謀を犯したのは、長く見積もって10年で勝利。1965年までには殆どの兵士を本国に引き上げる目論見があったからです。しかしながら思うように事は運ばず、戦争の泥沼へと引きずり込まれていきます。

そんな米軍の惨状を救うべく登場したのが、コンテナリゼーションだったのです。

つづく

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