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2018年11月29日

港の話 1

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みなさん、大河ドラマ「西郷どん」をご覧になってますか? 物語はいよいよ佳境。これから西南戦争勃発です。熊本城攻撃に失敗した西郷軍は敗走。城山で開聞岳を眺めた後、切腹ということに話が進んでいくのでしょう。私も20代、30代の若者が大活躍したこの時代が好きで、司馬遼太郎「坂の上の雲」をはじめとして様々な明治維新前後に関する本を読み漁ったことがありました。

ところで、話が進むにつれてどんどん悪者に見えてくる瑛太が演じる大久保利通、実は宮城県に深い関りを持っています。瑛太ではありませんよ、大久保のことですので誤解のないように。その大久保が内務卿時代に心血を注いだ事業のひとつが、野蒜村に西洋式の防波堤を備えた港を建設する事業計画です。この港の整備によって大型船の入港を可能とし、当時の物流を大きく発展させる壮大な構想でした。また、爆発寸前であった不平士族に対する経済的な救済というウラ事情もあったようです。しかし、これが計画された1878年、大久保の思いは届かず、「紀尾井坂の変」で不平士族6名に襲われ暗殺されてしまいました。現場は紀尾井坂清水谷ですから、赤坂のホテルニューオータニのあたりですね。

おっと、話がそれてしまいました。さて、大久保が設計と工事を依頼したお雇い外国人はオランダ人技師。その技師の現地調査がいい加減なものだったので、調査結果と実態の乖離が甚だしく、工事中の堤防に大量の土砂が流れ込んだり、大きな波の衝撃で崩壊したり… 踏んだり蹴ったりの難工事だったようです。それでも、大久保が立案したプランを何としても成功させようと意地になっていた内務省が、事業規模縮小と追加予算措置でなんとか完成に漕ぎつけたのが1882年。しかし、できた港は常に強い風さらされて非常に危険で使いづらく、ここを利用する船長から散々文句を言われる始末。実際、事故も発生したのでしょう。そして、完成の2年後には台風の直撃に合い、あえなく突堤が崩壊する憂き目。とうとう明治政府は、野蒜築港をあきらめたのでした。これに懲りた政府は、仙台湾における港湾の整備を凍結。宮城における港湾の整備は、大正時代に入ってからの塩釜港の築港を待つことになったのであります。

当時、殖産興業に躍起になっていた明治政府は、大勢の外国人技師を破格の待遇で雇っていました。その給料は、現代の貨幣価値で月収約1000万円。しかも、新築の高級住宅に家賃ゼロ円で住み、水道・光熱費もただ。きっと送り迎えの馬車なんかも自由に使えたのでしょうね。

最後に、東日本大震災においては野蒜地区も大変な被害を受けました。

つづく

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